CEO/Producer
& Art Director
斉藤 祐一郎
1967年5月16日大阪・茨木市に斉藤家長男として生まれる。
その後、東京・池袋・埼玉・大井町(現・ふじみ野市)で10代をすごし、高校卒業後、東京・渋谷のデザイン専門学校に入学。
10代にさまざまな業種のアルバイト・起業などの経験を経た上で、在学中に、人が集まるパワー=人が集まる場の創造への世界に興味を持ち、卒業後、某広告代理店に契約社員として就職。しかし、1年も満たない内に退社。「当時、バブル真っただ中、自分が望んでいた仕事では無かった。ただ、人とのコミニケーション能力が自分には必要だと感じた。」と考え、夜の接客業の世界に飛び込む。2年間の正社員での経験を経て、退社。後に「あの夜の世界の2年間に比べたら、今、乗り越えられない事は無い。」と語っている。
その後、夜の世界で培ったコミニケーション能力を生かす営業職を求め、自分でクライアントを開拓できる会社に入りたいと言う想いから、前職である、制作会社に就職。開拓クライアントに、エールフランス航空・フランス政府観光局・タヒチ政府観光局・カルティエ・アルマーニ・パルファムジバンシィ、etc...と言った、多くの外資系クライアントを担当し、多くの諸先輩方の助言・叱咤激励=愛に支えられ、会社の業務範囲以上であり未経験のさまざまなジャンルの仕事を自ら提案?経験する。在籍7年間の25歳の時には、自身による大きなターニングポイントがあり、自ら「あのターニングポイントは、今の自分のすべてとベースを与えてくれた。」と語っている。
1997年11月。山一証券倒産のニュースを見て、「一流企業が倒産する時代。学歴の無い自分が自分の人生にチャレンジしないでどうする?」と自身に問いかけ、退社・独立を希望。1998年8月31日退社。翌9月1日よりフリーランスとしてGALAをスタートする。
当初は、7畳半の外苑前の自宅兼事務所から始める。その当時テレビを主としたPRエージェンシーが無かった所から、テレビPR専門のフリーランスとして始動。その後、プロデュース業まで業務を広げ、赤坂・広尾・代官山に事務所を移転。現在に至る。
現在では、プロデュース業のみにとどまらず、ジャンルを問わない多くの企業の、同じく、ジャンルを問わないさまざまなビジネスサポートと言う立ち位置で、すべてのプロジェクトに対し、自らがプロジェクトの責任者となり、クライアントの目的を達成する事を自分が求められている事として=「結果がすべて。」と語っている。
自ら「想像できる事は実現できると言う言葉があるように実現できないは無い。」と語り、WORKSのアーカイブを見ても分かるように、クライアント・仕事共にジャンルを問わない事から、プロデューサー・演出家・アートディレクター・デザイナー・プランナー・ etc...と言うさまざまな立ち位置で、過去に手掛けた仕事は幅広く、彼を肩書きで表現する事が非常に難しい。
「リスクを恐れず、自ら常にチャレンジをし続けている人。」
「諦めない人。頑固者。戦う男。」
「他にあまり類を見ない仕事のやり方をしてる人。」
として多くのクライアント・友人からの評価・信頼が厚い。
その他、インタビューの中で印象深かった本人語録。
「できない事の言い訳の理由を考える時間より、どうしたら実現できるのか?に時間を使う。」
「人間形成としての財産である経験値は、時として、新しい発想を生み出す時の邪魔になる。」
「新しい事を生み出すと言う事は、新しいチャレンジをすると言う事。リスクの無いチャレンジは存在しない。常にリスク=チャレンジのある仕事をしたい。」
趣味は「仕事」。肩書きは「職人」と自ら公言。
10代の頃に培った、すべてに対して頑固なまでの"こだわりと諦めないチャレンジ精神"。そして夜の世界で得た、この時代だからこそ大切な"コミニケーション能力"。この二つの魅力を併せ持っている、また会ってみたいと思える面白い男だった。
<2010年10月インタビューより>
追伸:まだ駆け出しだった頃、すべてがゼロスタートのなにも無い僕に、多くの勉強と人生の影響を与えてくださった四人の女性の方々に、この場をお借りして、心からの御礼を。
元・エールフランス航空 宣伝マネージャー/丹羽啓子さん
HOW 代表/大隈和子さん
ファッションジャーナリスト/小笠原洋子さん
元・シャネル~カルティエ~アルマーニ コミニケーションマネージャー
/故・大川涼子さん
※敬称略・順不同。
